長幼の序
2011年08月19日
昨日、ニュースを見ていたらなんとも不愉快な報道がなされていました。どう云う経緯か分かりませんが福島県の小学生たちが政府の役人に対して公開質問をしているという報道でした。私が不愉快になったのは、内容はともかく、その子供達の物の云いようです。どう割り引いて聞いても年上の人に対する言動ではありません。こんな言動をする子供たちを注意するどころか拍手をしている大人を見るともっと不愉快になります。
確かに政府の職員は公僕です。広く公衆に奉仕する公務員です。しかしですよ。国民の三大義務である、教育を受けさせる義務、勤労の義務、納税の義務を何一つ果たしていない子供の発言には当然そこに礼節が必要でしょう。なぜこんな当たり前のことを大人は子供たちに注意できないのでしょうか。云っている事が正しいか間違えているかを教える前に年長者に対する礼儀をわきまえる事を教えるべきでしょう。
論語に「弟子入りてはすなわち孝、出でてはすなわち悌、慎みて信、広く衆を愛して仁に親しみ行いて余力あればすなわちもって文を学べ」とありますがこれは全ての若者は家庭では親孝行をし、社会へ出たら長幼の序、すなわち年長者を敬う心を持って行動し、言動は慎み誠実さを持ち、多くの人たちと交わり人徳のある人と親しみなさい、それができてまだ余力があるなら本でも読みなさいと述べられているのです。
家庭生活の基本は「孝」の心、社会生活の基本は「悌」の心です。これがあるから人間の生活は調和が保たれるのです。年長者に対する尊敬の念を失った言動を取る者に社会のルールを教える事など不可能です。
社会はめまぐるしく変化しています。昨日の常識が今日の非常識になる事もしばしばあります。しかし、人間が生きていく以上決して変わってはいけないものもあるはずです。人間は絶対にひとりでは生きていけません。色々な人たちの力を借りてしか生きていけないのです。これは大人であろうと子供であろうと変わりありません。だからこそ直接的に世話になった両親を敬う心、間接的に世話になる年長者を敬う心が必要なのです。
親を馬鹿にする子、年長者を敬わない子、こんな子供たちに教育ができない限り日本の将来はない気がします。