口蹄疫の悲劇
2010年07月16日
口蹄疫の問題で、種牛の殺処分を拒否した農家を巡り宮崎県と国とが対立等の報道が盛んにされております。最終的に悲しい結末で終わりそうです。しかし、辛いですね。本当に。数十万頭の家畜を殺処分しなければならないなんて。丹精込めて育ててきた家畜をウィルスに感染しているならまだしも感染しているかいないか分からない段階で殺処分する農家の皆さんの気持ちを慮ると涙が出てきます。ひどい話です。自然はとんでもない試練を人間に与えるんですね。
しかし、調べてみると2001年のイギリスでは口蹄疫の感染で何と殺処分された家畜が1100万頭と言うのですから口蹄疫のウィルスは恐るべき感染力を持っているようで感染を食い止める事ができないでいるとそれこそとんでもない被害が出てしまうのですね。被害を食い止めるためにとらなければならない手段が殺処分、分かっているのですが辛いです。東国原知事の苦悶に満ちた表情を見ているとリーダーとしての苦悩が伝わってきます。ご苦労様です。
一連の事件を考えるにつけ、二宮尊徳翁の言葉を思い浮かびます。
『自然界の生きとし生きるものは生まれては死に、死んでは生まれの繰り返しをする。また季節は巡り、春が来て夏となり、秋冬と巡ってまた春が来る。これは天の理である。そこに善も悪もない。どんな植物も動物も、このサイクルから逃れられないしそれが当たり前なのだ。しかし人間が生きていく時、それではうまく生きることが出来ない。雨風が間断なく訪れ、寒暑が次々と去来するこの世に生まれて鱗も羽根も殻も無く裸で生まれてくる人間は雨露をしのぐ家が必要になり、寒さを耐えるための服が必要になる。そこで人間が生きていくための道を作る事になる。それが人道だ。この人道は、米を善とし、雑草を悪とし、家を作るのを善とし、壊すのを悪とした。しかしこれは人が生きていくために作ったものだから天の理と異なる。天には生き物に善も悪も無いから、稲と雑草の区別などしない。種あるものは皆成育させる。人道は天の理には従うけれど、その中で善と悪を分ける。人間に役立つものを善とし、役に立たないものを悪とした。だから人道というのはほおっておくと自然状態に戻ってしまう。そこで政治を行い、法を定め、礼儀を作り、うるさく世話をやくようにして、ようやく人道を成り立たせているのだ。』
多くの村の復興を成し遂げてきた人の金科玉条の言葉です。多くの日本人がこの自然のとんでもない試練を乗り越えてきたのだと思うと、頭が下がると同時に我々も頑張らねばなりません。しかし、辛い出来事ですね。