言葉の重み
2010年05月07日
英国の総選挙で、与党である労働党が敗れたと言う速報が流れています。ブラウン首相の失言問題が影響しているのでしょうか。最近特に感じる事ですが、言葉と言うのは怖いですね。特に上に立つ人の言葉は。
論語に「言必ず信 行必ず果」と言う言葉が出てきます。これは孔子先生と子貢という弟子との会話で出てきます。子貢が「どのような人が士の人といえるのでしょうか」と孔子先生に尋ねます。そこでの問答を少し長くなりますが引用します。「自分自身の振る舞いに恥を知り、四方に使いをしても君命を辱める事がない人間を士と言う」「ではあえて聞きますがその次は」「一族から孝行だと言われ、郷里の人たちから年長者の人に従順であると言われる人だ」「ではあえてその次は」「言った事は必ず行い、行いは潔い。コチコチの小人だが次に挙げられるだろう」。この三番目に出てくるのが「言必ず信 行必ず果」なんです。取りようによっては、孔子先生はあまり評価していないように感じられます。融通の利かない小人物だと言っているわけですから。だいぶ昔のエピソードになりますが日中国交回復の際、日中共同宣言発表後周恩来首相から田中角栄首相にこの「言必信 行必果」と言う題辞を送られたとき、日本を軽く見ているのではないかと問題視された事もありました。しかし孔子先生が「信」と言う言葉を軽視しているとは考えられません。論語の他の章では「民信なくんば立たず」と言う言葉が出てくるように「信」と言う言葉は儒教で言うところの五徳の一つでもあります。その答えは「孟子」に出てきます。「大人たるものは言必信 行必果にこだわるのではなく、そこに義があるかどうかだ」と言っているのです。
色々な解釈があるのでしょうが私なりに勝手に解釈すると・・・
言った事を必ずやる、そして結果を出すと言う事は非常に大切な事である。しかし、その言葉に縛られてしまって状況が変わっているのに変化に対応できない人間は駄目なんだよ。人の上に立つ人が一番大切にしなければならない事は何が「大義」であるかを考えて行動する事だ。
こうなるのではないでしょうか。
冒頭のブラウン首相の失言は別として、日本でも首相がマニフェストに反する事を行っていると批判していますが、ちょっと極端すぎるような気がします。確かにリーダーの言葉は非常に重いものです。政権奪取の為に耳に聞こえの良い事を言ったことは猛省すべきだとは思いますが、だからと言って過去の言葉に縛られ日本が大きな道を踏みはずして良いはずはありません。我々はとにかく冷静に何が重要であるかを考えるべきです。