東京マラソンにて
2010年03月15日
先日、東京マラソンを走ってきました。皆さんから「寒かったでしょう」「最悪のコンディションでしたね。」などと声をかけられましたが、私にとっては最高のコンディションでした。私は生まれつきの汗かきで夏場に10キロ走ろうものなら、それこそシャワーを浴びたように汗をかきます。人から練習を続ければ同じ負荷でも発汗量が減ってくると言われたことがありましたがとんでもない間違いです。少なくとも私にとっては。そして汗をかくと例え水分を補給したとしてもバテてしまうのか30キロを越えたあたりで決まってガス欠になります。ですから、私にとっては気温が高い日のマラソンが恐怖なんです。逆に気温の低いマラソンの場合はスタートを待つ時間の体のケアだけ気を配ることができれば、後は雪が降ろうと雨が降ろうと快調に走る事ができます。そして練習の成果が出たと胸を張って言えるかどうかは別として、30キロ過ぎからの力の入った走りが出来ました。怪我をせず走る事ができた体を与えてもらった両親のおかげです。有難うございます。
ところで、30キロ付近を走っている時、君原健二さんと併走する場面がありました。君原健二さんといえば1968年のメキシコオリンピックのマラソン銀メダリストです。私の父が君原さんのファンで私が幼少期の時良く彼の話を引き合いに出して、どんな事でもあきらめないで続ける事の重要性を教えられたものです。まさにその手本の人と併走して走っている自分に感動し、もし父にこの姿を見せることが出来ればと胸が熱くなりました。同時に、全く違う観点からマラソンを考えました。この時期のマラソンランナーのエピソードとして色々取り立たされた事がありました。君原さんと同時期に活躍した東京オリンピックのマラソン銅メダリストの円谷幸吉さんとの事です。メキシコオリンピックをさかのぼる事4年前東京オリンピックに際しては、日本のマラソン代表3人の中で下馬評では君原さんが一番メダルが近いと言われていました。それが結果ふたを開けてみれば円谷さんが銅メダル、君原さんは実力を出し切れず8位となります。4年後、失意の中から立ち直ってきた君原さんでしたが、ライバルであった円谷さんがメキシコオリンピック直前故障に苦しんで自殺します。(直接的な原因は分からないそうです)そして・・・君原さんは銀メダルを獲得。その後、ミュンヘンオリンピックでも5位入賞を果たし、第一線を退いた後も、マラソン大会に出場し続け、しかも出場した全てのレースで完走しているとの事です。
先日の冬季オリンピックで活躍をした浅田真央さんは、19歳で銀メダルを取りました。4年後のソチでは金メダルを期待している国民が多くいる事でしょう。しかし、浅田さんの人生はそのときが来ても23歳、まだ、平均寿命まで60年あるのです。人間何時死ぬか分かりませんが、決して一時だけではありません。一時だけ輝けば言い訳ではないのです。人生山もあれば谷もあります。どの時でも全力で生き、何事も途中で投げ出さないで完走する事ができる人間に成りたいです。69歳になっても走り続けている君原さんは本当に輝いていました。人生のどの時期にも輝き続けたいですね。
雨ガッパを脱ぎ捨て走り抜けるのが社長です