オリンピックは誰のため
2021年07月29日
東京オリンピックが始まり、一週間が経ちました。連日日本人の金メダルのニュースが飛び込んできます。やはり、オリンピックは我々の気持ちが盛り上がり、感動をもたらしてくれます。何度ガッツポーズをしたことか。新型コロナウィルスがもたらした鬱屈とした気分を前向きな気持ちにさせてくれます。
コロナウィルス感染者が増えている中でのオリンピック開催に関して、ほとんどの報道は「中止にすべき」でした。「何のためのオリンピックなのか、大儀がない」「商業優先のオリンピックのせいで日本国民が犠牲になる」等、好き勝手なことを言い、開会式が行われたことを「オリンピックが始まったことを皆さんにお伝えしなければならない」残念な話題としたテレビキャストもいました。(反対の割にはニュースのほとんどがオリンピック選手の話題に終始していました。反対していたオリンピックをなぜ報道しているのか?視聴率が取れれば何でもいいのでしょうね。)
誰のためのオリンピックなのか?オリンピックを開催の是非が議論になった時、この命題が出ていました。オリンピックでの選手の一挙手一投足を見ていれば答えは明白です。
オリンピックはアスリートたちのためにあるのです。金メダルを取った人、取れなかった人、その表情を見ていたらよく理解できます。オリンピックに出る、出て金メダルを取る、その最大の目的のために普通じゃ耐えられない、想像もつかない練習をしてきたのです。何かの番組で「オリンピックで金メダルを取ることを考えたら、東大に行く方がよっぽど簡単だ」というシーンがありましたが、間違いありません。金メダルは種目ごとに世界で一人なのですから。
世界中のアスリートが切磋琢磨し、4年に一回その成果を競う、それがオリンピックです。だから、国際間の紛争を一時止めてアスリートの戦いに世界中が注目するのです。「平和の祭典」ではなく、アスリートの戦いに敬意を表して一時的に平和な状態を作るという国連での約束事なのです。そのくらいオリンピックはアスリートにとって究極の目標なのです。だからどんなことがあっても開催しなければならない義務が日本にはあったのです。世界中のアスリートのために。
アスリートの表情を見ていると、目標を達成した人、できなかった人、金メダルを取って泣いている人、負けて泣き崩れている人、みんな良い顔をしています。彼らの涙は努力なしに語れないのです。その涙を見て、我々は感動し、自分の人生に置き換え、後ろ向きだった気持ちを前に向かわせてくれるのです。「涙とともにパンを食べたものでなければ人生の味は分からない」
日本に来日した直後のPCRで陽性反応が出て出場ができない選手がいたとの報道がありました。残酷な話です。しかしその選手もこれで人生が終わるわけではないのです。現実を変える事はできない。しかしその意味合いはこれからの生き方でいくらでも変えることができるのです。そんなこんなを考えながら、オリンピックで日本人を応援しています。