1. トップ
  2. 気ままに更新する社長のひとりごと
  3. 自由

気ままに更新する
社長のひとりごと

プリンセススクゥエアー
代表取締役 出口博俊

自由

  • このページを Google Bookmarks に追加

2015年01月13日

 新年早々、世界中を震撼させる事件が起こりました。フランスで風刺漫画を描いている編集会社が武装したグループに襲撃され、編集長や警官12人を射殺されたというものです。また、ほんの少し前には北朝鮮の体制を風刺し、その体制をコミカルに描いた映画の上映に先立って上映中止を強迫したメールや、サイバーテロが起こったという報道もありました。一連の事件を通じて、世界中で「表現の自由」を主張するデモが起こっています。
 
 私はこういう事件が起こるたびに「自由」とは何なのかと考えてしまいます。子供たちに「自由」というものを教えるとき、一定の制約があることを伝えています。一つは法律に違反しないこと、もう一つは他人に迷惑をかけないことです。法律に違反することは法治国家である以上当然です。しかし他人に迷惑をかけないことは倫理的に非常に重要なことです。法律に違反していなければ何をしてもいいというのでは社会は成り立ちません。問題はその範囲なのです。どこまでが他人の迷惑になり、どこまで許されるかです。この範囲が人によって、社会によって、国によって違ってきます。また、ナショナリズムや宗教というある種、独善的な考え方が出てくると複雑になってきます。
 私は、天秤に自由を乗せたらその反対側にあるものは信用、または相互理解であると思うのです。お互いに理解しあい、尊重しあう重さの分だけ自由は認められると。相手に信用され、お互いに理解が深ければその分自由に行動し発言しても問題は起こらないと思います。反対に相手の信用度や理解が浅ければ浅いほど、当然その行動や表現にも一定の歯止めをかけないと無用な摩擦を引き起こすと思います。それも相手の思想、信条の基になる部分に至っては紛争に発展してもおかしくありません。
 
「自由」はもちろん大切です。また暴力を肯定するつもりはありません。しかし「行き過ぎた自由」は他人を傷つけます。天秤の反対側にあるものを軽視したら、相手を傷つけその相手の刀で自分に傷つけられることをしっかりと理解するべきです。

今年も本当に寒い日が続きます。年の初め、体調には気を配りましょう。今年もよろしくお願いします。

社長のひとりごと
プリンセススクゥエアー

Contents

コンテンツ

  • タワーマンションの売却・購入をご検討中の方へ

公式SNS

  • 採用情報をリアルタイムにお届け 公式X
  • 採用情報をリアルタイムにお届け 公式X