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代表取締役 出口博俊

桜の季節

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2014年03月29日

 3月も末となり東京も桜の季節がやってきました。この季節は、年度末と重なるせいか別れと新たな出発、出会いがある時期になります。私は、この時期になると何となく物悲しくなり、満開の桜を見ながら感慨にふける事が多くなります。とてもきれいに鮮やかに咲く桜は、その宿命として開花してから10日余りで散っていきます。「このきれいな桜の花は明日、見ることができるのだろうか?」などと考えると人の人生の儚さを考え、また「同期の桜」等、大東亜戦争時、国のために命を懸けて散っていった英霊に思いを馳せてしまいます。
 そして、鴨長明の「方丈記」を手にしてしまうのです。この随筆は鴨長明が出家し隠遁生活を送った京都で平安時代末期から鎌倉時代にかけての様々な出来事、世相を気持の赴くままに書いています。この随筆を読んでいると、当時生きてきた人たちが多くの災害に見舞われ命を落としていく話がたくさん出てきます。そして火災、竜巻、地震、飢饉、遷都と様々な災害や為政者の起こす出来事で振り回され命を落としていく人間の命のはかなさ、世の無常を思い知らされます。中でも、福原遷都後の養和の飢饉では長明自身が平安京を歩き回り、道端の餓死者を数え歩いたことが書いてあります。その数、4万人余り、当時の平安京の推定人口の半分に当たります。そしてその中でもより悲惨な光景を目撃し描写しています。家族の終末は決まって親の犠牲から始まると。なぜならば、やっと手に入れた食料を、まずは子供に、まずは妻に、まずは夫にと言って、自分では食べない。それ故愛情が深いものから先に力尽きていくのというのです。そして、死んでしまった母親の乳を吸っている子供を見つけるのです。想像しただけでも胸が張り裂けそうになります。
 養和の飢饉の場面を読んでいると、3年前に起きた東日本大震災を思い出します。母親と兄弟を亡くして呆然としている女の子を。神様はなんと残酷なんだと、何度も感じ涙しました。しかしそれがまた生きるということなのでしょうね。方丈記の冒頭に出てくる「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶ泡沫は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中のある人と住みかと、またかくの如し。」(川の流れは絶えることはないが同じ水が流れてくることはない。よどみに浮かんだ泡はできては消え、またできと永遠に泡が留まる事はない。人も、住まいもそれと同じだ。)は、胸に突き刺さります。
 満開の桜を見ると生きることの儚さと、大切さを両方教えられている気がします。人生色々なことがあります。
皆さん、一つとして常なるものがない中で今を輝く事の大切さをしっかり受け止めながら靖国神社の桜を見ようじゃありませんか。

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